- 日時: 2013/06/15 10:27
- 名前: しろ (ID: gxY1UZSQ)
「見えるかい? あの獣だ」 「……ええなんとか」
まだ夜の帳が落ちている中、アンナと男は泉から離れ、森の外れへと来ていた。 男からセズナへと向かう事を告げられたアンナは彼に付いてきたのだ。 だがその道中、男はアンナを呼び止め、森の茂みへと身を隠していた。 アンナの右手には小振りの刀剣が握られている。
「これは君を試すテストだ」 「テスト……? 」
男は頷き、彼らが身を潜めている茂みから5m程の距離にいる獣を指さす。 目をこらして見たその獣は、よく村の近くでも見た草食獣だとアンナは確認した。 鹿によく似た生き物で、こちらから手をださなければ無害の生き物だ。 それもまだ村で見たときのものよりも一回り小さい……まだ子供なのだろう。
男はニッコリと微笑むと、アンナの耳元で囁く。 あの獣を殺せ――と。
「……えっ? 」 「僕がその得物を渡したことから分かってたと思ったけど……君、案外鈍感? 」
男の顔には笑みが浮かんでいたが、目は笑っていなかった。 なんと氷の様な冷たい目をしているのだろうかとアンナは他人事のように感じた。 男がアンナの右手に手を添えてくる――その手も冷たい。
「いいかい……あの獣を殺すんだ」 「あの子を……? 」 「そう、その剣で首を斬るも胴に突き刺すも君の自由……ただ殺せばいい」 「でもあの子……まだ子供じゃ……」
地面に生えている草を一心不乱に食べている子供。 人間ではないにしろ、殺すことができるほど彼女は冷酷な人間ではない。 だが男は首を横に振り、アンナに諭すように囁く。 あれは小さくとも獣、人間に害を与える化け物の一種だと。
「子供大人なんて関係ない。彼らは人間に危害を加える生き物だ」 「でもあの種類の生物は敵意を示さなければ無害だって……」 「無害?あの獣の雄は角を持っていて、人間の子供を殺したという事もよくある話だ。君と同じく無害だと思って近づいた子供達がね」 「……でも」 「それにあの獣を楽に殺せるぐらいの気概がなくちゃ……ハンターにはなれない」 「まぁ……君がハンターを目指すのを断念するなら僕は君を置いて街に向かうけどね」
男は意地悪そうにアンナへと微笑む。 この男はなんのためらいもなく自分をこの場所に放置していくだろうとアンナは思う。 なにせ男に自身の面倒をみる義務など本当はないのだから。
「ほら、どうするの? 」
両親のために生き抜くことを決意した。それをみすみす自分から放棄する訳にはいかない。 アンナは無言で茂みから身を乗り出し、獣に気づかれないように暗闇に紛れ忍び足で近寄ってゆく。 それを男は楽しげに眺めていた。
(……ここで死ぬ訳にはいかない)
獣との距離は約2m程に縮まっている。獲物が気がついている気配はない。 足元に注意しながらアンナは徐々に距離を詰めてゆく……悟られないようにゆっくりと……。 そして刀剣で斬りつけられる距離まで距離を縮めた刹那、彼女の背後から獣の甲高い耳を切り裂かんばかりの奇声が。 後ろを振り返るとそこには同じ種類の獣の姿があった。その獣がその奇声を発していた。
「……お母さん? 」
その獣の奇声を聞いた小さな子供は弾け飛ぶようにアンナから距離を置き、母親だと思われる獣へと駆け寄ろうとする。 アンナは子供を追いかけることができず呆然と立ち尽くす。 やはり彼女に子供を殺すことはできなかった……子供の母親の姿を見てしまったからには。
「私には……殺せない」
アンナがそう呟いた瞬間、獣の母親がよろめいた。 よろめいたかと思うと力なくふらふらと千鳥足でゆっくりとアンナの方へ向かってくる。
「……えっ? 」
何が起きたか理解できないアンナであったが母親が自身の足元に崩れ落ちると同時に現状を把握した。 母親の頭部には一本の矢が突き刺さっていたからだ。 アンナが男に視線を向けると、男は弓を構えていた。男の表情は暗闇で窺う事はできなかったが……微笑んでいるのは彼女には容易に想像できた。 男の放った矢が母親の頭部を貫いたのだろう。
「……」 アンナは何も言葉がでなかった。 子供の獣は倒れた母親の元へと駆け寄り鼻を母親の体にこすりつけ、必死に起こそうとしている。 蚊のなくような小さな鳴き声で母親を呼ぶ子供の姿にアンナは手にしていた刀剣をその場へと落とす。 落とすものは刀剣だけではなく、涙も同じだった。
「何を泣く必要があるの? 」
いつの間にか男がアンナの傍に来ていた。 思った通り、微笑んでいる悪魔の顔がそこにはあった。
「やっぱり殺す必要なんてないじゃない……この子達を殺す必要はない! 」 「あぁ、ないよ。 ある訳ないじゃない」
男はそう言うと、アンナの足元に落ちていた刀剣を拾い、その刀身を子供へと向けて一閃。
「あっ……」
地面に転がる小さな頭部、崩れ落ちる獣の子供の体。 呆然とするアンナの横で落胆したように男は長いため息をつく。
「僕の勘違い……かな。 じゃあね」 「えっ? 」 「君はテスト失敗。君には用がないから。 あっ、これはあげるよ好きに使って」
男は血に濡れた刀剣を地面へと突き刺す。
「僕は用無しの君のお守りをするほど暇じゃないから。自分の身は自分で守ってね」 「ちょ、ちょっと……! 」 「まぁ運が良ければ街まで辿り着けるよ。じゃあ頑張って」
男はそう言い終えると、アンナから背を向けて一人で歩き始めた。 慌てて男の後を追いかけようとしたアンナ。 だがそんな彼女を後ろから突き飛ばしたものがいた――。
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