- 日時: 2013/06/12 18:54
- 名前: しろ (ID: qiXQzgoO)
狩人は獲物を見つめていた。 茂みの中から気配を消して。 獲物達が己の気配に気づいている様子はない。 だが慎重に機会を窺う、せっかくの獲物を逃すつもりはなかった。
つい先日味わった獲物の血肉の感触……忘れられない。 甘い蜜とはまた違う味。 小さな獲物よりも目の前の獲物達のほうが味が濃く、旨い。 ……その獲物が4匹もいる。 獲物に気づかれないように近寄らねばならない……ゆっくり、ゆっくりと――。
「……ん?」
自身の武器の手入れをしていた男がふと顔を上げる。
「どうした?トール?」
トールと呼ばれた男は己の口に指をあて、声を出さないように指示を出す。 何事かとセーヤと女は顔を見合せ、レイは寝ぼけ眼でそれを見つめている。
「……何か物音がした」
トールは腰かけていた岩から立ち上がると、剣を鞘から引き抜き、足元に置いていた小さな盾を手に取る。 そのただならない様子にセーヤは大剣を、女は肩から背負っている弓を構え、矢筒から矢を抜き取り身構えた。 寝ぼけ気味であったレイもすぐさまリュックを抱え、セーヤの後ろへと身を隠す。
「……んだぁ?俺には何にも聞こえんかったぞ?」 「いや……確かに音がした。近いぞ、隊長」
3人が背を預け合う形で陣形を組み、その中心に無力のレイが守られる形で彼らは暗闇へと睨みをきかせる。 これなら奇襲を受ける事なく、戦力でない者も守ることができる。 瞬時にこの隊形を成す3人の傭兵に、レイは守られるだけしかできない己の無力を噛みしめるのだった――。
獲物はどうやらこちらに気がついたらしい。 小さな獲物を中心に大きな獲物が警戒している。 もう存在が知られたなら隠れる必要もない。
この爪で獲物を引き裂き、牙で噛み砕き、あの食感と味を噛みしめる。 それだけを獣は考えていた。 もう隠れる必要もない……目の前の獲物を殺す――。
「前方右斜め!茂みの中!」
トールの声に反応したセーヤと女は瞬時に彼の両脇へと振り向く。 トールが示した先には咆哮をあげた獣の姿があった。 その大きさは2m近くはあろうセーヤ以上の巨体である。
「ほぅ……なかなかでけぇ」
青黒く生えそろった毛がわずかに焚火の光に照らし出され、ところどころが赤黒く変色している。 固い甲羅に覆われた手に鈍く光る爪、荒々しい息が吐き出される口から見える牙……どちらも赤黒く染まっていた。 その容貌は熊に近いものであるが、明らかにその姿は尋常ではない。化け物だ。
「ありゃぁ……熊だなぁ。あの様子じゃ俺等が餌に見えてんのか?」 「あなたが美味しそうに見えるんじゃないの?隊長」
女の軽口にトールが同意したように頷く。
「ちっ、軽口叩く暇あんならさっさと殺れ!」
了解と答えた女はこちらに向けて咆哮を上げつつ突進してくる熊の頭部に狙いを定め矢を放つ。 風を切りつつ矢は熊の眉間に吸い込まれるように突き刺さった――かに見えた。 だが矢は鈍い音をたてて矢尻の根元から折れる。
「嘘ッ!?」
驚く女の横を颯爽とトールが駆け抜け、盾を前方に構えつつ、低い体勢で熊へと迎いうつ。 トールの盾と熊の頭部がぶつかり合い、盾の金属音が響く。 セーヤより小柄とはいえ、頭一つ分程しか違わない巨漢のトールが立ち合うと子供のように小さく見える。
「ちっ……この馬鹿熊!?」
額、そして髪を剃りあげた頭部に太い青筋をたて、歯を食いしばるトール。 トールの足が徐々に徐々に後ろへと押し出され、地面にブーツが食い込んでゆく。
「この……!」
トールが熊を抑えている間に後ろへと回りこんでいたセーヤが大剣を振りかざし、熊の背に一撃を放った。 刃が熊の首筋付近に食い込み、血が宙へと噴出される。 だが浅い――致命傷にはならない傷だとセーヤは今までの経験の中から感じる。 熊は背に痛みが走ったと瞬時に体を少し前に引いたのだ。 ゆえに熊には致命傷にならなかった。
(こいつ……)
声にもならない咆哮を熊は上げ、立ち合っていたトールの盾に力任せに腕を叩きつける。 トールは踏ん張りきれずに熊の前より弾きとばされた。
「トール!?」
トールの巨体が吹き飛ばされたことに驚きながらも女は冷静に肩に下げている矢筒から矢を抜き取り構える。 頭部が無理なら足……見たところ体毛にしか覆われていない足なら矢も通るはずだと女は考えた。 地面へと倒れ伏しているトールに今にも飛びかからんとする熊のその足めがけて矢を放つ。
「!!」
矢は見事に熊の右足を貫き、熊の行動を阻止する。 熊はあまりの激痛に後ろへと倒れこみ、尻もちをついた体勢となった。 その隙をセーヤは見逃がさない。 すかさず倒れた熊の頭部めがけて大剣を正面から振り下ろした。
「熊野郎!死ね!」
だがその時熊は予想外の行動に出た。 己の右前足部分を大剣へと差し出したのだ。 熊の腕を覆っていた甲羅が砕け、刃が肉へと食い込み、それ以上の侵入を拒む。
「んだとぉ!?」
咄嗟の熊の機転に虚をつかれたセーヤ。 その隙をついて熊は左前足を彼の脇腹へと叩きつけた。 これにはたまらずセーヤは大剣を手放し、地面へと叩きつけられた。
よろめきながら立ち上がる熊と、得物を手中から離した無防備なセーヤはまたも正面から対峙する。 漆黒の闇が辺りを包む中、彼らの死闘はまだ終わらない――。
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