- 日時: 2013/06/12 18:57
- 名前: しろ (ID: qiXQzgoO)
熊は困惑していた。 何故眼前の小さな獲物達に己が苦戦しているのか――理解できなかった。 つい前の闇の中で食いちぎった獲物達は弱かった。 なんの抵抗もない彼らの肉を抉り、血を飲み尽くし、堪能したのだ。 だがこの獲物達は違う……明らかに闘いを知っている。 しかし逃げることはできない。 ここで獲物を喰らうまでは――。
熊は怒りに打ち震えているが如く、咆哮をあげる。 その怒りの矛先は己の眼前に立つ獲物――セーヤ。 熊にはもう彼以外の獲物は見えていなかった。
「へへっ、そんなに見つめちゃってどうした……俺に惚れたか?」
セーヤは額から流れ出る汗を手で拭いながら軽口をたたく。 そんな余裕を見せるセーヤに向けて熊は血が滴り落ちる右前脚を打ち込もうと腕を振り上げる。
「隊長!どいてっ!」
女の声が耳にセーヤは反射的に後方へと背中から倒れこむ。 セーヤの頭の上を疾走する一矢――それは熊の右目を見事に打ち抜いていた。 その瞬間、凄まじい咆哮が夜の空へと響き渡る。
「……うしっ!」
体勢を崩した熊の隙をついて己の武器を手中に収めるセーヤ。 彼は刃が下になる状態で柄を握り、両足でふんばると一気に上空へと向けて切り上げる。 その刃の切っ先は熊の顎を切り裂き、熊の右頭部を抉りぬく一撃。 大量の血と肉片が飛び散る中、ふらふらと後ろへよろけた熊に一気に駆けよるのはトール。
「……ふっ!」
大地を蹴り熊の頭部へ向けて跳躍――。 彼の右手に持たれていた剣は熊の左目を切り裂いた。 そしてそのまま熊の背後へと着地すると熊へと振り返り、剣を胴へと突き刺す。 この時、頭部を破壊された熊に意識はなかった。
「……これで終いだなっと!」
熊が前のめりに倒れそうになった瞬間、セーヤの大剣が熊の頭部を切断していた――。
「こいつはでけぇなぁ!座り心地もいい!」
熊の背に腰かけているセーヤは上機嫌な様子で口笛を吹く。
「これだけの獲物ならそれなりに金になりそうだな」
剣の刃をぼろ布でふき取るトール。 男達の顔には熊の返り血が大量に付着している。 上機嫌な二人とは対照的に、レイは顔を歪めていた。 血……その真っ赤に染まる液体に彼は馴染めていない。 周囲に漂う血の臭いと血肉散らばる異様なその場に。
「大丈夫?」
「セナ……」
セナと呼ばれた女は気遣うように彼の顔を覗き込む。 長髪の銀髪から漂う穂のかな花の香り――血とは対照的な匂い。
「大丈夫。 ちょっと疲れてるだけさ」
レイは強がってそう答える。 本当は今にも胃の中のパンが逆流してきそうな程に気分を害していたが。
「そう、なら良かった」
少し肉つきのいい顔だが、誰もが文句の付けようもないほど顔の整っているセナ。 セーヤの話によると、その顔立ちからか男性から求愛される事も多々あるらしい。 彼女の可愛らしい頬笑みにレイは直視できず、サッと目をそらした。
「おう、セナ。わりィが今夜はここにその餓鬼と残ってくれねえか?」
そんな二人の合間に割り込むセーヤの声。 彼はトールと共に先にセズナへと向かうとの事だった。
「どうして先に行くの?」
不思議に思うレイにセーヤは説明する。 一つはギルドから依頼されていない化け物を討伐した際にはギルド支部に伝え、死体を引き渡すことで収入を得られるという事。 二つ目はギルドはその死体からハンターとは別のギルド直属の部隊に装備を支給している事。 ハンターに正式に依頼をしていない分、こちらの方がギルドにとっても安上がりになる。 そのことからギルドは商人等に引き渡さず、支部に引き渡すことを奨励し、商人達よりも高額で引き取ってくれるシステムだという。 ただこの様なことは滅多にないらしく、ほぼハンターが受けた依頼の補助を行う役周りで傭兵として食っているのだとセーヤは言った。
「という事で、お前達はここでこいつの見張りをしててくれ。他の奴らにとられねぇようにな」
他の奴らとは同業の傭兵達の事であろう。 頷くレイとセナ。
「早けりゃ朝までには戻る。それと……ほれ」
セーヤは腰にさしていた短剣をレイへと手渡す。 それは古くくたびれた皮の鞘に収められた子供でも扱えるほどの小さな剣。 抜いてみなっとセーヤはレイに促す。
レイは無言で鞘から刀身を引き抜いた。 鋭く研ぎ澄まされた小さな刃――月の光に鈍く光る。 ジッと刀身を見つめるレイの肩をセーヤは軽く叩き、口元に笑みを浮かべた。
「てめぇの身はてめぇで守れ。いいな」
レイはこくりと頷く。 自分の身は自分で守る……これがセーヤより言い渡された最初の任務だった――。
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